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2025年06月30日
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余暇 1

2008年11月03日

「光る風」および「月の路」からだらだらと続く、何も起きないお話です。


 

 聞こえるのは蝉の声。
 どこか、そう遠くないところから、「つくづく惜しい、つくづく惜しい」と悪戯に繰り返す。
 ああ、過ぎようとする盛夏のことかと、脈絡のないことを思うのは、意識が少しずつ引き上げられているせいであったらしい。
 目を開けると、板葺き屋根の裏が視界に広がっていた。
 光線の具合から、もう日が高くのぼりかけていることを悟る。

――遅刻か!――

 がば、と跳ね起きて我に返り、留三郎は思わず眉間に手を当てた。

(俺は今、何を思った?)

 任務も一応は御役御免となったのが、二日ほど前。
 果たせなかった約束に、どこか諦め切れずに戦場を彷徨ううち、物売りに化けていたきり丸から伊作の噂を聞いて、ふと立ち寄ったのが夕べのことだ。
 もう三年も前に離れた学園生活を錯覚するとは、よほど疲れているのだろうか。
 心当たりは無きにしもあらず・・・ここ数日の激務を思い、留三郎はこきこきと首を鳴らした。

「お、目が覚めたか」

 にこにこと五徳の下の火加減を確かめる伊作の手元から漂い、小屋に充満するこの臭気。

「あー。これか。」

 留三郎はすっきりと合点がいった。
 忍たま長屋、と呼ばれていた寮の自室で、文句をたれる留三郎をよそ事に、伊作は一晩中薬を煎じることが度々あった。
 そのために、居屋にはの奇天烈な臭いが年中しみついていたものである。
 嗅覚は五感の中でも最も記憶との繋がりが深いとも言う。
 だから、この空間を、かつての学び舎と錯覚したのだ。

「何が?」
「何でもねえよ」

 お茶を濁した留三郎にろくに構うこともせず、伊作はどす黒く煮え立つ汁を丁寧に漉し始めた。

「こういう生薬は、空腹時に飲むのが一番効果的なんだ」
「?」
「留三郎、疲れてるだろう。君が虚相なんて、珍しいからね。保健委員会特製滋養強壮剤、煎じておいたから、朝飯はその後だ。」
「うへ・・」

 あれか。あれのことか。
 その強烈な臭気に負けじと珍奇な味の液体を想起して、思わず嫌な顔で舌を出す。
 久しぶりの余暇に、朝っぱらからなんという災難だろう。
 それを正義と疑わない親友の上機嫌な横顔をうんざりと眺めていたら、すきっ腹がぐうと鳴り。
 留三郎は筵を重ねた寝床の上に、今一度倒れこんだ。

 
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No title
火気厳禁の図書室の中はいつ訪れてもほの暗く、格子窓からの静かな外明かりだけがずらり並んだ書の背を浮かび上がらせていた。
 一歩、足を踏み入れると、鼻腔をくすぐる、独特のこの匂い。
 それが黄ばんだ紙のものなのか、乾ききった糊なのか、はたして年月という形無きものが醸す何かなのか、乱太郎にはわからない。
 保健委員定期勉強会の後片付けは、通常伊作一人で行っているのだが、今回は些か資料が多すぎた。
 慣れぬ勉強のし過ぎでくらくらしていたところなのに、二つ返事でお手伝いを引き受けてしまう乱太郎のお人よしは、相変わらずである。
 乱太郎は、両手に一杯の巻物を抱え、やはり本の一山を腕に支えた伊作のあとに続いて書棚の間を抜けると、そっと息を詰めた。
 火気厳禁に加えて、私語厳禁。
 そうでなければ、図書室の主である長次の縄標がいつ飛ぶか解らない。
書物をすべて元の位置に戻し終えるや否や、緊張感に押し出されるようにして廊下へと飛び出した。
 そこから見渡せる明るい初夏の庭にほっとして背伸びをしていると、やはり重い荷から開放されて肩を回しならす伊作と目が合った。

「お疲れ様、今日は思ったより長引いてしまったね」
「はい。でも、勉強になりました。忍術学園のもってる資料って、凄いんですね。」
「そうだよ。唐渡りのものから南蛮渡来の書まで。ここでなければ見られないものも沢山ある。流石は忍者の学校だよね」
「忍者の・・・」

 伊作がどこか誇らしげに口にした「忍者」という言葉に、乱太郎は、ふと午後の授業で習ったことを思い起こした。
 きっと自分が覚えているよりも繰り返し、土井先生が黒板に書いてきた文字。
 その示す内容はそれはもう飽きるほど教えられてきたけれど、そのたびに心のどこかで引っかかり、遠い将来に小さな不安が渦を巻く。
 少し気恥ずかしいせいで、誰にも聞けなかった、そのこと。

「どうした、乱太郎」
「あの、私、ずっと疑問に思ってることがあるんです」

 躊躇いがちに、けれども真摯にを見上げてくる眼差しを、伊作は柔らい笑みで受け止めながら、無言で先を促した。
一瞬の逡巡ののち、

 「あの・・・」

 と口を開きかけたまさにその時。
 廊下に佇んでいた二人の丁度間を、若草色の人影が風を巻く勢いで駆け抜けて行き、後に続くはずの言葉をを喉の奥に宙ぶらりんにしたまま、乱太郎は固まった。
 間髪を入れず、負けず劣らずの剣幕で滑りこんでくる三年生がもう一人。
 駆けてきた勢いを殺せずに、あわや衝突しかける寸前で、何とか足首を利かせて踏みとどまった。

「うわああっ・・と、すんません。って、おいこら左門!次の教室はそっちじゃねえって!」
 
 左門よりは些か周りが見えているらしい作兵衛は、二人に気風良くと頭を下げると、すぐさま再び左門を追って走り始める。
 まるで嵐か竜巻のような三年ろ組の背中を呆然と見送っていた乱太郎は、ようやく伊作を振り向こうとした。
 が、そのかわりにいつの間にやら図書室からぬっと顔を出していた長次とかっちり視線が合ってしまった。
 声も出せずに仰天する乱太郎をよそごとに、長次はいつも通りの仏頂面で、無言のまま庭をついついと指している。

「そうだね、ここで立ち話は落ち着かないよね。ありがとう長次。」

 もう慣れっこと見える伊作は図書室の主ににこやかに感謝して、行こうか、と乱太郎の先に立って庭へと降りた。
 乱太郎も慌ててぴょこんと会釈して、外廊下を飛び降りる。
 瞬間、頭巾からのぞく後れ毛がふわりと風に浮く。
 降り立てば、綿足袋ごしに、しっとりとした黒土の感触が気持ちいい。
 薄水色の空のもと、夏に向かう季節の中で、木も草も、なにもかもがピカピカと出来立てに光っている。
 木立を抜けたところにある、岩場。
 並んで腰かけ、寄ってきた雀らに干飯をくれてやりながら、伊作は聞こうか、と切り出した。
「・・あの、忍者の三禁って、ご存知ですよね」
「酒・欲・色だね。」
「いっつも思うんですけど、忍者って一生お酒飲んだり、優しさを持ったりとか、その、結婚したりしちゃだめだってことなんですか?」

 それはあまりに、悲しいし、寂しいと、乱太郎は思うのだ。
 そんな風に無理をした自分の未来を思うと、心がかさかさになりそうで。
 それなのに忍者として尊敬する先生や・・・父や、誰もそんな乾いた人間ではないし、厳しくも優しく潤っている人ばかりだ。
 三禁、という厳しい枷を、忍者になりたい自分にどうはめていけばよいのか、乱太郎はわからずに混乱する。
 思いがけぬ疑問をぶつけられ、伊作は僅かに瞠目したが、すぐに乱太郎の意を汲んだらしかった。

「忍者に相応しい人間の特徴にね、人柄がよいことだって含まれているんだよ。誰かに優しくしたり、誰かを愛してその人と共に生きようと思ったり、・・・そんなことが全然出来ない人間が、立派だと思うかい?」

 ふるふると首を振る乱太郎に、伊作は目を細める。

「そうだよね、そうじゃなければ、仲間にさえ信頼され辛い。お酒だってそうさ。下戸よりは飲めたほうが色々と有利なのが実際で。嗜みとして大切なんだ。ただね、それで身を持ち崩したり、任務がおろそかになってはいけないっていうことなんだよ。人間はあんまり強くないから、それを三禁としてしっかり戒めておかなければ、守っていけないんだ。」

なんだそうかあ、と一応は安堵の表情を見せた乱太郎だったが、すぐにはっと思い至ると、やはり悲しげに眉を下げてしまう。

「でも、私、性格が忍者に向いてないって言われるんです。あの・・・それで」
「うん、僕もだね」
「・・・はい。」

 二人の手から零れた飯粒を、雀がちゅんちゅんとつつく。
 つつく度、かえってあさっての方角に飛び散るそれを追いかける、短い羽音が耳をよぎった。

「・・・そうだねえ、皆それぞれ個性があるからなあ。うーん。例えば、遠くにあるものを目で見つけて、それをいち早くとりに行かなきゃいけない、でもいまいる場所を離れられないとき、乱太郎はどうする?」

 暫し考えたが、間もなくして、答えは自然と沸いてきた。

「えーと、きり丸に見てもらって、しんベエに居てもらって、私が走ります」
「それとおなじ事だよ。もし一人きりだったらひとつの欠点は命取りなんだろうけど、乱太郎には沢山仲間がいるだろ?それに。」

 そこで小さく言葉を切って、伊作は、どこか楽しげに乱太郎を覗き込む。

「どうして、沢山の人が乱太郎が困ったときに手を貸してくれると思う?」
「えっと・・・・」
「乱太郎の持ってる優しさが、皆をつないでるところもあると思うんだ。忍者としての欠点も、そうなれば長所だ。」

 そう言って、単純じゃないだろ、と笑う。
 乱太郎はぱちり、と目を覚ましたように瞬いた。
 伊作の言葉に、ひとつひとつ、心の澱が消えていくようだ。
 ・・・それでも、最後にひとつだけ。
 それを口にしながら、声が少し震えたかもしれない、と乱太郎は思った。

「私は・・・・一流の忍者に、なれますか?」

 一瞬伊作の目の奥に、射抜くような光が閃いたのは、気のせいだったのだろうか。
 しかし、それにはっとしたときには、その眼差しはいつもの柔らかさを取り戻していた。

「それは、誰にもわからない。」

 勇気を振り絞ったであろう問いに、あっさりとそう返されて、じれる乱太郎ににっこりと笑うと、伊作はのんびりと言葉をついだ。

「隙のすくない奴はいるよね、六年で言うなら、仙蔵とかかな。でも仙蔵だってたった一人でなんでも出来るわけじゃないんだぞ。それに、一流の忍者になることだけが、全てじゃない。無理ばかりして一流になったって、それは幸せではないだろ。」

 幸せ。そう言われて、乱太郎は戸惑う。
 意識せずに過ごしている、今はきっと幸せ、なのだろう。
 それは大切な人が、友達が、先生がいるからなのかも知れない。
 「幸せ」の形ははっきりとは解らなかったが、一流になることとそれが同じ意味を持たない、ということはなんとなく理解できた。
 一生懸命に考えを巡らしているらしい後輩の円らな瞳を、伊作は微笑ましく見つめる。

「あと五年あるよ乱太郎。よく学んで、悩んで、幸せになるんだよ。」

 その最後の言葉をひとつひとつ、区切るように大切に伝えると、伊作はゆっくりと目を伏せた。
 そしてまっすぐに顔を上げ、視線を輝く木々の緑に移ろわせる。
 何か遠いものを慈しんでいるようなその横顔を見つめるうち、いつしか乱太郎は淡い憂いを忘れていった。
 その代わり、胸に広がるのは、t与えられた暖かさに寄り添うようにしてふと生まれてきた寂しさだ。
 
 ――私が二年生になればもう、このひとはいなくなってしまうんだ――
 
 知っていたはずのことが、何故か急に迫って思えて、胸のあたりがすうと冷えた。
 この人がここを去るとき。
 そのとき自分はきっと泣いてしまうんじゃないだろうか。

 平和な学園の庭に遊ぶ、雀たちはまだ飯粒を追いかけている。
 乱太郎は目の奥からつんとこみ上げそうなものを紛らわすかのように、干飯を投げる手に力を込めた。



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三禁の解釈は、適当です。信じてはなりません。けれども、ずっと、こうだったらいいなあと思っています。
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