忍者ブログ

[PR]

2025年07月02日
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

歩き巫女のこと

2008年11月29日

ちょっと難あり+長いので隠します。
月の路にほんのり出てきた、歩き巫女について思うことです。

歩き巫女は流れの宗教者で、色々な土地へ行くことができるため、くの一としても暗躍したと言われています。
他にも色々と逸話のある歩き巫女ですけれども、私の思うところはこのような感じです。



 

光る風関係で、くのいちさんと歩き巫女のことをちょっとお話したのですけれども。。
異に歩き巫女による情報収集では、遊女としての側面が何かと強調されがちですよね。
それも勿論あったことだと思います。

中世を下ると、遊女そのものの地位がそれまでより落ちてしまいますし、尼さんも遊女の真似事をして生計を立てることが出てきます。
それを嘆いているような文献も見られます。
そのように女性が有る意味「おちて」いって背景には、おそらく穢れ思想と言うものが根深く関わっていると思うのですけれども。

それは置いておきまして、歩き巫女さんです。
勿論、彼女たちの本業は巫女さんですから、口寄せ、占いというものをしていたと思うのです。
あの時代、合戦の吉凶も占いに頼る武将もあったことですし、そういう霊的なものは今よりもずっと信頼が置かれていたのだと思います。

例えば、ある村に巫女さんが立ち寄ったとしますと、村人は必ず最近困っていること、例えば「最近不作続き」だとか、その国の力具合にも関わる重要なことを相談しにくるはずです。
それこそが、彼女たちの雇用主にとって、重要な情報となりえたのではないかと思うのです。
というようなことを本で読んだことがございます。
その上、聖職者はフリーパスで各国に行けますし。
だからこそくのいちとして有用であったのだと思います。

なのでですね、とかく強調されがちですけれども、体を張っていた側面が彼女たちの真の本業ではなかったんじゃないかな、と思う・・思いたいのです。
霊的なお仕事の一つとして、遊女のようなお仕事もあった、くらいのことも言われておりますしね。
武田の歩き巫女には養成所のようなものもあったそうです。
望月千代女という甲賀出身の女性が、その訓練にあたっていたとか。
今も長野県東御に少しだけ、史跡が残ります。
来年の大河に、歩き巫女が出てくるのらしいので、この切なくも興味深い存在に陽が当たることを楽しみにしております。
PR
Comment
  Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
Trackback
トラックバックURL: