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2025年07月01日
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幻冬 終

2008年11月22日
お、お粗末さまでした・・・


口はまだまだ達者であるらしい老人は、伊作の背なで、思いの他よく喋った。
晴れた空から不思議に舞い降りる雪を美しいと褒めては、機嫌よく笑う。

「風花じゃな」
「風花?」
「天気雪のことじゃよ。風で山の雪が飛ばされるのもそう呼ぶ。」

兎の嫁入りかな、と軽口を叩きまた笑う老人に、伊作はどこかほっとした。
この様子ならば、庵でしっかりと養生して、まだまだお元気に長生きされそうである。

「聞くのも見るのも、これが始めてです。・・・・綺麗ですね。」

言葉にすれば、その美しさは胸の中で鳴り響き、さらにまこととなるのであった。
白い光の欠片が、ゆっくりと雪原に降り積もる様は、明るい幸福を思わせた。

「そうか、西国の出かな」
「そうですね、そこで育ちました。ご老人は、どちらで?」
「さあのう、昔のことが過ぎるでのう。忘れてしまったな」

そんなのんびりとした会話を続けていられたのは、その頃までであった。
それから半刻もせぬうちに、少しずつ雲が増えたかと思っていると、たちまち、山は雪嵐に呑みこまれた。
経験したことも無いほどの急勾配で下がりゆく気温に、しんしんと不安がつのる。
伊作の胴の火がなければ、二人ともたちまち凍えてしまっていたことだろう。
舞い上がる地吹雪に、太陽の位置すら次第に覚束なくなって来る。
雪を漕ぎ前へ踏み出す、一歩が重い。
防寒薬を塗り、綿足袋には番椒を仕込んであるが、すでに足先の感覚は痺れるように遠のいていた。


「ご老人、方角はお分かりになりますか」
「大丈夫じゃ、このまま真っ直ぐな」

荒れ狂う風が、吹き巻く雪がひと時も止まない。
吹き付ける冷気の中は、息をつぐのもやっとであった。
おぼろげな視界と寒さに、霞のかかり始めた意識を自覚したとき、背に言い知れぬ恐怖がはしった。
それでも、ここで共倒れになる訳にはいかぬ、と伊作は歯を喰いしばる。
何とかして意識だけでも繋げなければ。
そうだ、何か話を。
伊作はくっと腹に力を込めると、風雪に負けぬように、声を張り背の老人に話しかけた。

「お聞きしてよろしいでしょうか」

老人は、返事代わり、肩口に耳を寄せてきた。

「何故、先生ほどの名医であられる方が、あの場所におられたのですか?」

伊作の問いに答えぬ代わり、老人は嵐の中、高らかに笑い始めた。
そして、さも愉快そうに身を乗り出して問い返す。

「では君は、誰に私のことを聞いてきたのかね」

当然の如く答えようとして、伊作ははっと気がついた。
実際、誰に、どこでその話を聞いたのであったか。
まるで夢の中の出来事のように、思い出すことが出来ない。
何故、そのことを今まで疑問に思わなかったのだろうか。
伊作は、背にした老人の、名前さえ知りはしなかった。
混乱する伊作の思考に、さらなる戦慄がはしる。
もともと大した重さのなかった老人を負った背が、急激に軽くなり始めたのだ。
そしてからからと笑うその声は、みるみるうちに若々しく変じていった。


「ご老人、あなたは、一体・・」


伊作は思わず、肩ごしに背負った人を振り向いた。
間近に、細められた切れ長の双眸、黒い瞳。
雪風に舞う、癖のある黒髪・・・・
見覚えのある口元が、緩やかに弧を描いてほほ笑んだ


―――僕は、君なんだよ。善法寺伊作君―――


(どうして、その名前を)


酷く震えたはずの自分の声は、音にすらならなかった。
途端、激しい風が吹き付けて視界は真っ白に塗りつぶされる。


背に残っていた最後の重みが、消えてゆく。
待って、待って下さい。
僕は、貴方に教えて貰いたいことが、まだ・・沢山・・・
差し伸べようとした手の感覚とともに、白銀の嵐はくるくると回りながら、伊作から遠のいていった。








目を見開くと、紺碧の空。
鋭利な先端を光らせた氷の柱が青を切り裂いて落ちてくる。
これは走馬灯なのだろうか。
網膜に焼きつく、この恐ろしくも美しい光景を、僕は知っている。

はっと我に返った瞬間、考える間も無く、体は紙一重で氷柱を避けた。
途端、もはや立っていられぬほどの疲労感が全身を襲い、もうもうと上がる雪煙の中、がっくりと膝をつく。
わし掴んだ胸の辺りで、心の臓が体中を脈打たせるように跳ねていた。



ヒーホーヒーホー・・・


やがて、鼓動は身の内に密やかになり、松雀の単調な囀りが、遠くのどかに聞こえはじめた。
視界を閉ざし、深く息を吐き、そしてゆっくりと身を起こす。
それは、確かめるまでもない事だった。
先刻通りすぎたはずの林道の入り口に、伊作は再び一人立っている。
雲ひとつ無い、くっきりとした青空からは、嵐の残滓さえ感じられなかった。
全ては、氷柱が落ちる間ほどの一瞬の出来事だったと言うのだろうか。
悴んだ指が、こめかみに触れる。

(夢・・・・だったのか?)


試みに懐を探ると、かさりとした紙の感触があった。
逸る気持ちを抑えながら取り出したそれを広げ、検める。
大胆な筆遣いで描かれた地図は、老人に渡されたものに相違ない。
指の腹で擦ってみれば、ざらりとした和紙の感触があり、鼻を近づければ墨文字の香りまで感じられる。
確かにそれは、ここにある、現実(うつしみ)のものだった。


「ふむ」


雪の上に薄青く沈んだ伊作の足跡は、前にふつりと途切れ、振り向けば来た道へ―――地図の示す麓へと続いている。
これを途中まで辿ったその先に、答えが、ある。
その筈だ。
再び地図を懐に納めると、伊作は雪道を黙々と下っていった。

 







「ここか・・・」


辿りついた山の中腹。
そこに見つけたのは、ひっそりと山河に抱かれた、小さな古い草庵だった。
まるい藁葺きに雪を載せ、主なきままに眠っている様は、どこか暖かな情緒を感じさせた。
風雅な樹種をこじんまりと寄せた小さな庭と、生薬が育つであろう、裏の畑。
二つだけ、実の残った柿の木の下を通って庵の木戸を引くと、土間の明かり窓から、静かな光が、板の間に差し込んでいた。
飴色の床板に、うっすらと積もった埃。
使い込まれた薬棚。
ここに、確かに医道を行う者の住まった名残。
伊作はふと目を伏せて、件の地図を取り出した。
丁寧に広げ、何気なく裏返す。
反故紙とばかり思っていたその半紙の裏側には、何か誓約のようなものが書き記してあった。


この書付を持つ者に、高尾山中腹の庵を譲るものとする

永田徳本


「永田・・・徳本」

それは、医道にある程度通じる伊作にも、覚えの無い名であった。
けれどもどこか懐かしい、その響きを味わうように今一度繰り返しながら、伊作は署名の下の血判を指でなぞる。
その左下に付け加えるように記された、大らかな文字の一文。


良い生薬の育つ水脈の山である。存分にお使いなされ。


耳の奥に、「兎の嫁入りかな」とおどけた笑い声が蘇り、伊作は我知らず、ほほ笑んだ。
戸口を出て見渡せば、雪深く眠る山の勇壮な姿が、紺碧にきりりと映えて気高い。
胸のすくような冬景色を、頂からの風花が一陣の風とともにきらきらと輝かせる。
手向けじゃよ、と、朗らかに言う声が聞こえた気がして、伊作は老人のいた霊峰に、深々と頭を下げた。
きつく閉じた瞼の内が、熱く震える。
まだ春遠い、それはその年の、寒の入りの頃だった。




永田徳本は、のちに医聖と呼ばれた戦国時代の医師である。
様々な医方・本草学に通じ、日本国で初めて漢方の古典、傷寒論に拠る医療を行った。
臨床を専らとした彼は、諸国をめぐり、貧しい人々を癒して歩いたという。
116歳という、当時としては異例の長寿を全うしたと言われるが、世俗に身を沈めたその功績、足取りは、現在でもようとしない。
彼の医療の拠り所であった傷寒論は、後世の医師らにより再び見直され、現代の和漢法の礎となった。
最晩年を過ごしたとされる信州に、彼の墓石が残る。
この墓石へ石をぶつけるとイボが癒えるという伝承があるせいで、不運なことに彼の墓はボロボロの穴だらけとなっているそうである。




*****************


本当は全然別の話だったんですけど・・・
当時の漢方は後世方どまりとあきらめて、田代三喜かなんたら道三を名医さんのモデルにしようと調べ始めたんですけど、何かイメージと違うなあと思っていたら、徳本さんにぶつかりまして。
そのあまりの伊作ぶりに感動して、結末が270度かわりました。
牛に乗って諸国を治療して廻ったり、天寿をまっとうしてお墓はボロボロとか。
しかも傷寒論を初めて(?)取り入れたなどと。
傷寒論がしっかりと研究されたのは江戸時代からだと思っていましたが、まさか、まさかこんな素晴らしい方がいらしたとは。
さらに、伊作庵の周りの自然は信州をイメージしたので、もう、何と言うか。
植物にも詳しい人だったらしいし。
好みど真ん中でした。最高。
いっそ伊作さんのモデルなんじゃないかとか勝手に妄想してしまいます。
その妄想が具現化したのが上の小説です。
苦情、反論どんとこいです。
もう、そんな伊作さんが、色々と、大好きです(そんなことは誰も聞いてない)。
いっぱい人を助けて長生きして、お墓をボコボコにされて、あの世で困った顔をして欲しいです。


本格的に最近気持ち悪い人になってきたなあ(もともとですよって)。
あまり多くの方が見ていない、と油断気味です。
うーん。自重しないと・・・。

ちなみに、この頃の伊作さんは、光る風よりさらに前、卒業後ですが結構若いです。
16くらいでしょうか。
さりげに、冬を迎える、に繋がるお話でした。


 

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